作曲にあたって

 グレゴリオ聖歌で私が長年、ミサで慣れ親しんだ「マリア・ミサ」は、単旋律でありながら圧倒的な荘厳さがあり、西洋音楽芸術の精神性の原点である“重量”の、ある程度の基準を示しているものだと考えられます。つまりこれ以上重いと“お先真っ暗の人生”、これ以上軽やかで明るいと“軽薄なアホ”と言われます(そんな無茶な!)。しかしこれだけは間違いなく言えるでしょうが、その重量感は完全に非日常の世界観を演出しているということで、それこそ典礼が重んじてきたものだと言って間違いないでしょう。しかしヘンな言い方ですが絶大なブランド力のあるカトリック(ローマ法王はもはや人間らしく見えないほど偉大なシンボル)、世界史でも習った“宗教改革=マルチン・ルター”のルーテル教会(バッハもルター派だもんね)とは違い、聖公会は「“ヘンリー八世の六人の妻”ですヨ、“アラゴンのキャサリン”とか“アン・ブーリン”とか“キャサリン・パー”ですヨ」と言ったところでプログレッシヴ・ロックのファンでもない限り、なんのこっちゃというほど一般的知名度は低く、そういった方々をミサに連れていくと、バチカンのミサと勘違いするほどのミステリアスなムードに一種の戦慄を覚えるそうです。・・・なんでそうなるんだ? ならばニコライ堂に行ってみなって。東方教会の礼拝は、もっとスゲぇー!(私的な意見)


 ですからミサ曲の中で、「キリエ」には強いこだわりと言いますか、特別な想いがありました。古来より「主よ憐れみたまえ」、「主よ、私たちに憐れみをお与え下さい」と唱えられてきた“キリエ・エレイソン”。典礼のミステリーはまさにここに開幕します。古来の聖公会に於ける、スローモーションのプロセッション、物音一つ立てない大勢の会衆、そして始まる神秘的な「キリエ」・・・ミサに初めて参加する人にとって、ここで既に圧倒されてしまうようで、素直に「まるで葬式に参列したみたいだ」と形容した人さえもいました。なるほど、そういう見解もあるか・・・だが本質はそうではないんじゃないか?


 はて、ミサ曲の「キリエ」は、かくもミステリアスなのか? では“キリエ・エレイソン”の意味をもう一度検証(??)してみると、どうやら「主よ、我らにお慈悲を!」という意味よりも、丁度200X年に韓国の男優ペ・ヨンジュン(ヨン様)が来日した際の成田空港の大フィーバーの如く、「ヨン様〜!こっち向いてぇ〜!」といった感じに、群衆の間で使われた一種のクリシェ(常套句)だったと考えるとしっくりきます(ホントか?)。


 即ち、私は“キリエ・エレイソン!”をズバリ「イエス様〜っ!」といった意味合いに捉え、それを大声で繰り返す人々の様子をイメージしました。これは大栄光への序章です。ならば噴き上がる人々の声・・・期待と不安に満ちて・・・ドキドキの瞬間・・・圧政の元にある人々の、きっと何かが起きるだろうという思い・・・。もはや気分は人声による噴き上がるファンファーレ。よって「キリエ」は、明るいファンファーレ風に書いてみようとプランを立てました。


 それから先はアっと言う間です。その日の夜、寝る前に歯を磨いている時、脳裏に聞こえていた、それはそれは高らかなムードを持った旋律を鼻歌で歌っていましたら、おや? “キリエ・エレイソン”のテキストがキチンとハマるじゃないですか。但し「キリエ・エレイソン」、「キリステ・エレイソン」、「キリエ・エレイソン」を各々3回ずつリピートするという従来のミサ曲の形式ではなく、2回ずつという形でしたが。早速鼻歌を書き留めて、ついでに和音も書き添えました。和声付けも手早くやってしまったのですが、この旋律は音域が広く、2回目の「キリステ・エレイソン」では低すぎる音が出てきたため、そこだけ手直ししました。

 

 演奏について

 ファンファーレですから、華やいだ感じがよろしいと思います。テンポは遅くならない程度に・・・しかし、次に「大栄光の歌(Gloria)」を歌う場合、用いる曲調やテンポ(どの曲譜を使うかによる)気持ちよく繋がるようにすることも忘れずに。「キリエ」が単独で浮き立ってしまわないよう、十分に配慮して下さい。

 

 

 追記(2021年10月1日)

 リズムを入れるなどしてアレンジするとカッコよくキマる曲でもあるんデス。

 

 ピアノ・ソロですと、とクラシカルで華麗なプレイになりマス。

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